確立された時代 ≪歴史・北栄・歴史≫

北宋は科挙官僚の主導権が確立されたと共に胥吏の存在もまた確立された時代であった。

現代日本語では「官吏」と一くくりにされる言葉であるが、宋以後の中国では官とは科挙を通過した官僚を指し、吏および胥吏とはその官僚の下にあって諸事に当たる実務者集団を指す。

胥吏は元々は官僚が仕事を行う際に、その下で動く者たちを一般民衆の間から募集した徭役の一種として始まったものである。

このうち法律・徴税など専門性の高い者はその技術を徒弟制度によって受け継がせ、その役職を占有するようになっていった。

南宋代の記録であるが福州では官が15人ほどに対して胥吏の数は466人とあり、胥吏無しでは行政は全く回らない状態であった。

この胥吏は徭役が元であるから基本的に無給であり、収入は手数料と称した官僚からの詐取・民衆からの搾取によっていた。

この搾取はかなり悪辣なものでありたびたび問題にされていたが、こと実務に関しては親子代々行っている胥吏に対して三年程度で別部署へ移る官では胥吏に頼らなければ職務を実行することは出来ず、完全に胥吏のいいなりであった。
update:2010年03月09日